日本医科学生総合体育大会

オンライン東西医体座談会 Part2
理事長が見た東医体・西医体(1)

2021年度の東医体・西医体の夏季競技は新型コロナウイルス感染症の感染拡大に伴い、残念ながら中止が決定してしまいました。今回は東医体・西医体の理事長と共に、今年の運営本部の働きについて振り返ります。理事長たちご自身の学生時代の部活動の思い出も交えながら、座談会形式で話し合ってもらいました(2021年8月時点)。

コロナ禍で、大会理事長として

太田(以下、太):前号では、東西医体の2年連続の開催中止が決定した後、運営メンバーを交えた対談を行いました。そのなかで今後の東西医体の引継ぎへの不安の声が上がりました。そこで、今回は東西の大会理事長の先生方にお越しいただき、大会中止までの経緯や大会の今後についてお聞きできればと思います。

浜岡先生(以下、浜):東京医科大学健康増進スポーツ医学分野の浜岡です。私はもともと大会理事長ではなかったのですが、もともと理事長だった先生が新型コロナ対応の責任者となり多忙が予想されたため、途中から務めることになりました。

太田くんは、以前からユニークな学生だなと思っていましたが、東医体運営本部の活動を通して、仕事熱心な印象を抱くようになりましたね。

:ありがとうございます。僕は以前から浜岡先生には色々とお世話になっていたので、東医体の理事長になると伺ってからは、一生懸命働いている姿を見ていただこうと頑張りました。

大石先生(以下、大):鹿児島大学心臓血管・高血圧内科学の大石です。私はもともと、学生生活委員会の副委員長だったのですが、当時の医学部長から、西医体の大会理事として入ってほしいとお話があり、3年ほど前に引き受けました。当初は「理事の仕事は少ない」と聞いていましたが、ある日「2年後は鹿児島大学が主幹校だから」と言われ、突然理事長を務めることになったという思い出があります。(笑)

理事長としての仕事は、基本的には有馬くんに任せきりでしたが、西医体を開催したい学生たちに対して、我々はブレーキ役となって感染拡大のリスクをどう考えるかを提案する役割でした。有馬くんとも複数回、研究室で話し合いをしましたね。

有馬(以下、有):大石先生のことは、3年生の時の授業でお名前を存じ上げていたくらいでしたが、運営の準備を進めるなかで色々な助言を下さったり、新型コロナウイルス感染症に関する最新情報も逐一教えてくださいました。それを受け、僕たちも早急に感染対策を講じることができ、とてもお世話になりました。

:最初に有馬くんが来た時は、感染制御に関する知識に不安なところもありました。しかし、感染対策マニュアルを作っていく段階で感染症に対する考え方も、大会運営に対する考え方もしっかりしてきたのが伝わりました。大会は中止にすべきだと思うと伝えた時も、真剣な顔で中止の判断を受け入れてくれたのが印象に残っています。

 

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※競技中の写真は全て2019年以前の大会で撮影されました。

 

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理事長が見た東医体・西医体(2)

医体中止の判断までの経緯

:東医体の中止は、どのように決定されたのでしょうか?

:最終的に理事会で中止の決定を話し合ったのは4月25日でしたが、その前に、太田くんとも話し合ったうえで、先生方にWebでアンケートを実施し、意見を募りました。すると、半数が中止、残りの半数が様子を見ようという形で意見が分かれていました。ただ、これまでの感染症の歴史を考慮すると、第何波まで来るかわからないですから、私自身は、大会中止は早めに判断すべきだと考えていました。先生方のスケジュールもありますし、またスポーツは事前にしっかりトレーニングをしておかなければ怪我や熱中症のリスクも上がるので、準備にも時間がかかります。そういったリスクも考慮して、2年連続で忍びないとは思いつつも、4月の時点で中止という判断をしました。

私も学生時代はトライアスロンをしていたので、試合の大切さは知っていますし、大会は学生生活の思い出になりますから、準備をしていた学生の皆さんは本当に残念だったと思います。しかし、医学を志す者として、安全を取って中止や撤退をすることも重要なのだというメッセージとして受け取ってもらいたいと思っています。

:私もなるべく、大会を開催させたいと思っていました。もともと、3年前までは鹿児島大学病院の感染制御部長をしていたこともあり、なんとか感染制御をしたうえで競技を絞ってでも開催できないかと考えていました。そのために、有馬くんと相談をしたり、感染制御の専門家の先生を紹介して各競技の感染対策マニュアルを作成するなどして、準備をしていました。しかし、2点気がかりがありました。

一つは大会の会場以外での感染制御ができないということ。もう一つは、各競技にはサポートドクターがつくのですが、コロナの流行で人員が取られてしまい、その手配ができないことが予想されました。なんとか競技はできてもこの2点が解決できそうになかったこと、また、ワクチンの接種が遅れていたこともあり、これらを総合的に考慮したうえで学長とも相談し、やむを得ず中止を決定しました。

:先生方は最後まで、学生たちのことを第一に考えてくださっていたのですね。

 

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※競技中の写真は全て2019年以前の大会で撮影されました。

 

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理事長が見た東医体・西医体(3)

医学部の部活動の今と昔

:お二人の、学生時代の部活動の経験についてお聞かせください。

:私は小さい頃から色々なスポーツをしてきたのですが、高校2年生の時にトライアスロンを知りました。たまたま新聞を見て、こんな過酷な競技があるのかと興味を持ったのです。ただ、当時のトライアスロンの日本での競技人口は300人程度で、私が通っていた愛媛大学には、医学部にも大学全体にもトライアスロンの団体がなかったので、一人でクラブを立ち上げました。

当時、練習はほとんど一般の方としていましたね。同じ大会に出場した方の中には、原付バイクに乗るようなハードなヘルメットで自転車に乗っている人や、いわゆるママチャリに乗って、蒸れるからと靴ではなくサンダルでペダルを漕いでいる人などもいて、まさに手探りの競技でした。また、競技中、飲み物や食べ物を置いてあるエイドステーションで、トップの方々はそれを走りながらもらうのですが、私は自転車を降りて座り、食事を用意してくれた方々にお礼を言いながら食べていて、今思えばピクニックのようでした。しかし、その後、国内の予選を突破して、目標にしていたハワイで開かれるアイアンマンレースにも出場し、完走できました。西医体には出られませんでしたが、良い思い出ですね。

:現在、医学生の多くは部活に入っていますが、当時からそうだったのでしょうか?

:そうですね。中には、掛け持ちで複数の部活に入っている人もいましたね。

:私が高校生の頃までいた愛知県では、当時、運動ができる人はみんな野球をするという雰囲気があったので、私自身も野球をしていました。高校の時に坊主にするのがどうしても嫌で、野球から一度離れたのですが、大学では坊主にしなくていいというので、再び野球部に入りました。

とはいえ、私の通っていた当時の大阪大学では、野球部はあまり強くなく、西医体の試合でも1回勝ったことがあるかどうかというくらいです。しかし、先輩や同期とは仲が良く、今思えばサークル活動に近いような部活動でした。また、四帝戦という、東京大学・京都大学・大阪大学・名古屋大学の四大学の大会も行っていたのですが、どの野球部も同じくらいのレベルなので、審判が呆れて帰ろうとするのを引き留めたという思い出もあります。医師になった現在でも、他の大学の先生とその時の話題で盛り上がることがありますね。

現役の二人の部活動はどうですか?

:僕は陸上部に所属しているのですが、部内が少し特殊な振り分けになっていて、短距離、長距離、そして、部の半数以上が所属するジョグパートという三つに分かれています。短距離と長距離の選手は真剣に練習に参加するのですが、ジョグパートの人はそれほど練習には来ないので、実際の稼働数は少なめです。各自が自分のやりたいペースでできる点が、この部の良い点だと思っています。

:僕の所属する水泳部は、それほど厳しい上下関係はなく、比較的サークル活動に近い雰囲気ではないかと思います。今は僕も部内では上の立場になっているのですが、新型コロナウイルス感染症の感染拡大もあり、最後に部活で泳いだのは2年ほど前になりますし、大人数で集まることもできていません。本来なら、4年生になる来年に引退をするかどうか決めようと思っていたのですが、最後に部活をしたのが2年前という状態で引退したくないので、まだ決められずにいます。一刻も早く新型コロナウイルス感染症の感染拡大が収束して、またみんなで泳げるようになってほしいです。

 

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※競技中の写真は全て2019年以前の大会で撮影されました。

 

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理事長が見た東医体・西医体(4)

今回の困難は今後にも活かされるはず

:まだまだ先を見通すことのできない状況ですが、運営の皆さんは、大会の引き継ぎに向けて動き始めているのでしょうか?

:ちょうど動き始めたところで、来年の東医体の運営メンバーに、会場の予約はもうしたほうがいいと伝えました。ただ、今年度の冬季競技が終わるまでは、僕たちの代が運営本部を務めます。冬季が終わればいよいよ次の代に引き継ぐのですが、僕たちも一つ上の代の運営委員の人たちも、大会を開催する場合の動きを経験していないので、その部分の引き継ぎは正直、不安が残っています。

:僕たちもまだ自分の業務が残っているので、今は11月をめどに引き継ぎができればいいかなと思っています。不安はありますが、コロナ禍で変わった点を新たに取り入れても良いのかな、と感じています。例えば、会議を毎回対面で行う必要はないのではないかといったことは、今後も考えていってほしいですね。

また、今後西医体が続いていくなかで、今回と同じような事態が再度起こるかもしれません。そのときに僕たちの経験が活かされるように、きちんと感染症対策について文書として残しておきたいと考えています。従来のやり方に対して僕たちだからこそ提案できること、残せることがあると思うので、そのような点も含めて引き継ぎをしたいです。

:最後に、先生方から学生に向けてのメッセージをお願いします。

:まず、太田くんと有馬くんを始め、運営委員会の人たちは、例年でしたら大会を開催し、運営できたことへの満足感を得られたと思うのですが、そういう機会が得られずモチベーションの上がりにくいなかで、本当によく頑張ってくれたと思います。しかし、世の中に無駄なことはありません。何かを組織したり準備したりする経験は今後も必要になってくるので、しっかり継続してやり遂げてください。

そして医学生の皆さん。来年は開催できると信じて、自分のできる範囲で工夫をして、練習を続けていくのが一番良いと思います。オンライン授業が増えるなかで、学生の体力自体が低下しているようです。脳も活性化されますので、ぜひ運動を続けていただければと思います。

:医学の現場に行くと、綿密に計画を立てて実施していくことと同じくらい、引き際を決断することが大切だと痛感します。その意味でも、今回は本当に良い経験になったのではないかと思います。また、西医体の運営委員会で、4年後にもう一度、鹿児島大学が主幹校になると決定したため、有馬くんたちにはぜひ、今回の経験を後輩に語り継いでほしいと思っています。

:最後まで頑張りたいと思います。本日はありがとうございました。

 

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※競技中の写真は全て2019年以前の大会で撮影されました。

 

浜岡 隆文先生
東京医科大学
健康増進スポーツ医学分野 主任教授
東日本医科学生総合体育大会 理事長







太田 拓也
第64回東医体 運営本部長
東京医科大学3年





大石 充先生
鹿児島大学
心臓血管・高血圧内科学 教授
西日本医科学生総合体育大会 理事長







有馬 悠平
第73回西医体 運営委員長
鹿児島大学4年







※取材:2021年8月
※取材対象者の所属は取材時のものです。

 

No.39