医師のみなさまへ

2025年2月20日

第8回 生命(いのち)を見つめるフォト&エッセー 受賞作品
一般の部【日本医師会賞】

「それでも愛おしい」

丸山 百合果(33歳)神奈川県

 結婚式の1カ月前、お腹に命が宿っていることが分かりました。

 念願の第一子。妊娠検査薬を見て夫と2人で喜び、病院で小さな胎嚢たいのうを確認し、自分の体に本当に命が宿っていることを実感しました。悪阻つわりがあり、少量の出血がだらだらと続いていました。

 不安は尽きませんでしたが、妊娠の喜びと結婚式をお腹の子どもと一緒に3人で迎えることの幸せの方が勝っていました。式の2日前に役所で母子手帳を受け取りました。

 無事に式を終え、両家の親にも妊娠を報告し、経験したことのない祝福を受けました。式の翌々日から新婚旅行を予定していましたが、子どもを第一に考えキャンセルしました。

 式から1週間後、妊婦健診を受けました。前回の健診から3週間が経過していました。

 赤ちゃんの心拍が止まっていました。

 どうして。その言葉で頭がいっぱいになりました。

「お母さんのせいではありません。」

 私が言葉に詰まっていると、主治医の先生が言いました。

 人生で初めてお母さんと呼ばれました。すると頭の中は「どうして」から「ごめんなさい」でいっぱいになりました。無事に産んであげることができなくてごめんなさい。

 2週間後に改めて診察を受けても心拍が確認できなかった場合、手術日を決めることになりました。病院の外のベンチに座り、しばらく動くことができませんでした。

 長い2週間でした。限られた人にだけ事情を伝え、皆同じことを言いました。

「あなたのせいじゃない。」

 それでも私は、私のせいだと思いました。毎日会社に出社し平然を装って働きました。電車で妊婦さんに席を譲りました。職場のママさん社員が子どもの熱で休んだ日は快く仕事を引き取りました。その社員が出社した日は体調を気遣う挨拶あいさつをしました。ねたみや、そんな自分への嫌悪感や、私がこんな人格だからと悲観して心がぼろぼろになりました。悪阻は続き、あんなに終わってほしかったのに、子どもと私をつなぐ唯一の証に感じていました。

 長い2週間が経ち、わずかな希望を捨てずに臨んだ診察でしたが、結果は覚悟した通りでした。検診台の上、下半身の服と下着を全て脱いで両足を広げた惨めな姿のまま、涙が止まりませんでした。惨めで悲しくて申し訳なくて、苦しい。どうして私の子どもが。

 主治医からは手術より前に自然排出される可能性があること、その際は排出されたものをできればジッパー付きの袋に入れて病院に持参してほしいと言われました。

 その診察から数日後の深夜、突然言葉が発せないほどの激しい腹痛に襲われました。救急車で搬送され、検診台でお腹の子どもをき出す措置が取られました。先程の腹痛とは比べ物にならない激痛で、私の泣き叫ぶ声が廊下まで響いていたと、後日夫がつらそうに教えてくれました。結局その日は処置をせず帰宅となりました。それから2日後の明け方4時頃、普段起きない時間に目が覚めた私は暫くベッドの上でぼんやりとしていました。

 その時でした。「終わった。」と、身体の感覚で分かりました。トイレに行き、生理用ナプキンに一つの塊を見ました。これが胎嚢。私の子ども。ごめんなさい、ごめんなさい。トイレの床に座り込み、涙を流しながら、心臓が締め付けられるように痛みました。真っ赤な血で覆われた袋。その中に、小さな生命が存在していました。

 まだ人の姿をしていない命を失うことが、これほどつらく、苦しいことだとは知りませんでした。それと同時に思いました。なんて愛おしいのだろう、と。

 こんな経験、しなくて済むのであればしたくなかった。けれど、これがなければ分からなかった人の痛みや悲しみがありました。

 その日から1年6カ月。私は娘を出産しました。産声を聞くその瞬間まで不安は消えませんでした。

 そんな思いで胸がいっぱいになりました。

 生命は奇跡です。そして愛おしい。

 はじめて私の人差し指を握った小さな指。お宮参り、お食い初め、ハイハイした日。生まれてからの全ての日々が愛しくて、尊い。

 日々の暮らしから少し外に目を向けると、世界では戦争が止まず、会社や学校ではハラスメントやいじめが消えません。傷付けられていい命などないはずです。あなたの目の前にいるその人も、誰かにとっての大切な命です。どうかそのことを忘れないでください。

 命が、心が、大切にされる社会でありますように。私は私の経験から、そう願わずにはいられません。

第8回 受賞作品

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生命(いのち)を見つめるフォト&エッセー