医師のみなさまへ

2025年2月20日

第8回 生命(いのち)を見つめるフォト&エッセー 受賞作品
一般の部【入選】

「出会い」

阿部 夕貴(37歳)山口県

 私の心臓に異常が見つかったのは、中学1年生の入学時健診だった。精密検査の結果、心臓の壁に穴が開いているので閉じないといけません、という告知を受けた時の私の衝撃たるや、昨日のことのように思い出せる。その日はひっきりなしに泣いたことと、滅多に買ってもらえなかったコンビニのおにぎり(しかも大好きな昆布入り)の美味しかったことを覚えている。

 病名は、心房中隔欠損症、心臓内部にある4つの部屋を区切るための壁の中で、右心房と左心房の壁に約1センチの穴が開いており、本来交わることのない静脈血と動脈血が混ざっているということだった。その穴をふさぐ手術をしなければならなかった。

 その時執刀して下さった外科医の先生との出会いが、私の人生の起点の一つとなったのだ。先生は小柄で、いつも白髪交じりの髪の毛をぼさつかせていた。目つきも話し方も穏やかで、当時13歳の私でも分かるようにゆっくり簡単な言葉で何度も説明をしてくれた。なかなか手術日が決まらなかった時も、先生が、じゃんけんでもしたら、と言ってくれて、母と私が勝負をした結果、私が勝った8月1日の手術日は私の2回目の誕生日、ということになっている。そんなエピソードがあったから、それが全てで、というわけではないけれど、手術を受けることに対しての不安は最小限で済んだように思う。

 手術当日、手術室へ向かうエレベーターで母と別れ、看護師の方に促されるように手術室へ入り、幅の狭い手術台に腰掛けたら、さすがに怖くなってしまい、両目が涙でいっぱいになってしまったけれど、それを間一髪流さずに麻酔をかけてもらうことができたのは、すでに先生が手術台の横にいてくれたからだ。

 結果として手術は先生はじめたくさんの医療者の方々のお陰で無事に成功した。計画通りICUから一般病棟に移ることができた。唯一予想外だったのは、心臓の手術をしたとは思えないくらいに日焼けをしていた私の見てくれでも、私の中心に表れた大きく盛り上がったおおよそ20センチの傷を、当時13歳の私には受け入れることが難しかったことだ。

 退院してしまったら、当時関わって頂いた方々に会う機会は滅多にない。短い期間ではあったが、先生が私に与えた影響は大きかった。だからここで、先生に向けて手紙を書こうと思う。それを了承してほしい。

 先生へ

 先生、私、手術をした後、先生のお陰で医療の道に行く夢ができました。どこかの夢物語みたいだけど、本当です。当時は医師になり先生みたいにかっこいい緑色の手術着を着て廊下を闊歩かっぽしたり、自分の手術でたくさんの人を助けたいと本気で思っていました。でもちょっとだけ?いや、大分かな?(笑)学力が足りませんでした。それでも病気で困っている子ども達の力になりたいという一心で、看護師を目指し、NICUと産婦人科で働くことができましたよ。そして、巡り巡って、私が関わることになった一人の女の子(当時は患者さん)が、私のような看護師になりたい、なんてうれしいことを言ってくれて、頑張って本当に看護師になりました。そして私の元職場のNICUで元気に働いています。私の病気があって、先生の存在があったから生まれた奇跡のような出会いだと思っています。

 数年前、心臓の定期健診で初めての病院にかかった時そこの先生から、執刀医は誰でしたか?と聞かれ、先生の名前を言いました。そしたら、よく知っています、私の大先輩です、すばらしい先生でした、と話されていましたよ。先生はやっぱりすごい先生だったのですね。その話の流れで、先生が随分前に亡くなられていたことを知りました。

 それを聞いて、あの時、中学1年生だった私は、きちんと先生にお礼が言えていただろうか、とふと心配になりました。退院後、お礼の手紙も書いたけど、読んでくれたかな。

 先生、私の命を救ってくれて、道を切り開くきっかけをくれて、本当にありがとうございました。お陰様で、私の心臓は今日も元気に動いています。

 先生は先に第2ステージで手術の腕を存分に振るっていることでしょう。応援しています。私はまだこちらのステージで看護師として復帰して、また小児科分野で頑張りたいと思っています。そちらに行った際は、勉強して先生の手術につかせてもらおうかな?なんて。

 追伸

 退院の時、手術の傷は、形成外科で綺麗きれいに取れるよと言ってくれましたが、私の勲章として残してあります。先生縫うのが上手だって言っていたから、その通り、とっても綺麗な傷になりましたよ。

第8回 受賞作品

受賞作品一覧

生命(いのち)を見つめるフォト&エッセー