2025年2月20日
第8回 生命(いのち)を見つめるフォト&エッセー 受賞作品
一般の部【読売新聞社賞】
「妹が遺してくれたもの」
鈴木 恵美(59歳)宮城県
亡き父と同じ難病を抱えている妹。強い薬を服用中だが、ここにきて再び量を調整している。どうしても子どもが欲しく、今回が最後のチャンスになるらしい。子宝お守りを見せられた時は、胸がえぐられるようだった。
春夏以外は年中寒いと言っている妹だが、この年は5月になっても毛糸の靴下が手放せなかった。薬を減らしたことで、厄介な冷えとの闘いになってしまったようだ。
私は10月の妹の誕生日に、手編みのブランケットを贈ろうと思った。小さい四角のモチーフを何枚も作り、それらを合わせて1枚にしたものだ。妹の願いを
そのモチーフが目標の半分に差し掛かった8月。妹はくも膜下出血で救命救急センターに緊急搬送。手術の
10代半ばで発症以降、少しずつ運命を受け入れてきた妹。苦しみや絶望を味わいながら、前向きに生きてきた妹。
「困難にぶち当たっても死を選んだら駄目だよ。命さえあれば乗り越えられるからね。」
心が折れ、「死」を口にする私や周りの人に、切々と命の大切さを訴えていた。
私と義弟は泣いて執刀医を問い詰めた。
「今の医学でどうにかならないのですか?」
「奇跡は起こせないのですか?」
医師は首を横に振るだけだった。
だったら私はどうすればいいのだろう。父もくも膜下出血で48歳にて他界。母の介護は妹と協力してやってきた。妹は私を遺し、44歳で父と同じ運命を
私は生前、妹から死生観を聞いていた。
「私は、こんな体でも長生きしたいって思うよ。でも、積極的な延命治療はしないでね。そして、私が旅立つ時は笑顔で見送ってね。みんなに泣かれたら逝くに逝けないから。」
妹は早々に自分の命と向き合っていたのだ。
「家族で過ごす時間はありますか?」
「たくさん話しかけてあげてください。私達もご家族に寄り添えるよう努力します。」
こうして妹との中身の濃い面会が始まった。私は日中、義弟と友人達は夜、妹に会いに行った。友人が多い妹の実態を知り、身内以外の面会が許可されたのだ。
「お姉さん来てくれたよ、良かったね。」
機械で全てを管理された妹。耳元で看護師が来訪を知らせると笑ったように見える。切開した頭からは髄液が漏れているのに、血圧も上がる。思わず「生還」に
「思いが妹さんに伝わるからですよ。」
友人達も「手を握ったり声を掛けたりすると数値が上がる。」と喜び、意識が戻ることを期待して面会を終えるとのことだった。
面会が始まって1週間。
「天気のいいこんな日は、いっしょにお昼寝されたらいかがですか?」
私の返事を待たず、看護師がベッドの柵を外しにかかる。重症患者同士がカーテン1枚で仕切られている空間。フロアのあちらこちらで機械音がけたたましく鳴っている。
私は促されるまま妹の隣に忍び込んだ。看護師が優しくカーテンを閉めていく。私は管の合間からそっと妹を抱きしめ、名前を呼んだ。妹の温もり、妹の感触、妹の匂い。妹との思い出、妹との未来。次から次へと涙が
私は妹の手を握り、声を殺して泣いた。ふと妹が「ありがとう」と言ったような気がして我に返る。どうやら夢を見ていたようだ。
「面会時間が過ぎたのに、すみません。」
静々とカーテンを開け看護師を呼ぶ。
「
看護師は妹に話しかけながら、顔をタオルで拭った。そして、一呼吸おいて切り出した。
「明日の午後、個室に移りますね。」
私は深呼吸して気持ちの整理をつけた。
「はい、よろしくお願いします。」
その2日後、妹は私と義弟の腕の中で静かに息を引き取った。脳死から10日間、最期まで妹を一人の人間として温かく接してくれた医療スタッフ。傷心した私達の胸の内まで
力は尽きたが、生き抜いた妹は私の誇りだ。
「ずっと忘れないよ。私達はあなたの分まで自分らしく生きていくからね!」
散々泣き
妹が亡くなって10年。妹の生き様を心に刻み、私は妹の魂と共に人生を歩んでいる。どんなに辛くしんどくても、私には「今を生きている」という幸せがある。妹がいたから、「今日の命」に感謝できる私がいるのだ。
第8回 受賞作品
一般の部: 【 厚生労働大臣賞 】
【 日本医師会賞 】
【 読売新聞社賞 】
【 審査員特別賞 】
【 審査員特別賞 】
【 審査員特別賞 】
【 入選 】
【 入選 】
【 入選 】
中高生の部:【 文部科学大臣賞 】
【 優秀賞 】
【 優秀賞 】
【 優秀賞 】
小学生高学年の部(4~6年生):【 文部科学大臣賞 】
【 優秀賞 】
【 優秀賞 】
【 優秀賞 】
小学生低学年の部(1~3年生):【 文部科学大臣賞 】
【 優秀賞 】
【 優秀賞 】
【 優秀賞 】