医師のみなさまへ

2025年2月20日

第8回 生命(いのち)を見つめるフォト&エッセー 受賞作品
一般の部【審査員特別賞】

「いのちの伴走者」

加藤 有里(43歳)愛知県

 いのちの歌という歌がある。初めて聴いたのは息子が中学3年生の時の合唱コンクールだった。「泣きたい日もある 絶望に嘆く日も」。歌詞にあるそんな日が、まさか自分達に訪れるなんて微塵みじんも思っていなかった。息子はその冬、急性リンパ性白血病だと診断された。親から見ればまだ手のかかる子どもに他ならない15歳の息子は、傷付いて戸惑いながら自分自身のいのちと向き合い、ゆっくりと走り出した。

 息子の主治医はどんな時も物腰の柔らかい優しい先生だった。優し過ぎることで頼りなく感じる時もあったが、その柔らかな物言いや波長が息子とは合っていたように思う。息子のことを懸命に考えてくれる良い先生だった。

 私には忘れられない先生の姿がある。息子が骨髄移植の後、肝臓の合併症でICUに入るかどうかの局面にいた時のことだ。

 先生からの状況説明の後、心を落ち着かせてから部屋に戻ると、先生はベッドの傍らに寄り添って、処置に疲れて眠っている息子の様子を見つめていた。唇をみ、普段の先生からは想像もできないくらい静かな怒りを感じた。悔しさのにじむその顔は、初めて見る先生の顔だった。寛解も難しいと言われていた息子が寛解し、良い状態で移植に臨めたという経緯を側で見て支えてきたのは、面会制限があって普段は会うことができなかった私達ではなく先生だった。それ故に先生には先生の視点で思うことがあったのだと思う。息子がどうなってしまうのか不安で押し潰されそうだった私は、先生の顔に緊張を感じながらも、家族以外の誰かがこんな顔をして息子を想ってくれることに、感謝の気持ちで胸がいっぱいだった。

 予定より随分と長い入院生活になったが、合併症を乗り越えた息子は退院時、先生から「僕の診た子の中でこれほど大変な経緯を乗り越えてくれた子はいなかった。本当に良く頑張ったね。喜びもひとしおだ。」と盛大に送り出してもらった。息子も誇らしげだった。

 しかしその後もたくさんの合併症に見舞われ、順番に臓器が不具合を起こしてしまい、薬は減るどころか増える一方で想像を絶する治療を総なめにした。できることがひとつずつ奪われていき、心はえぐられても待った無しで生きるための治療は続いた。食事や行動の制限も増えた。痛くて辛い処置に耐えても良くはならない体への不安は増した。一緒に闘った子達が先に逝くことも経験した。上手く消化できない感情を持て余し、息子は幼い子どもみたいにねたり怒ったりした。悔しくて泣いた日もあった。私達は息子の心が叫んでいても側にはいてやれない。そんな時も先生はいつも息子の気持ちに寄り添い、歩幅を合わせてゆっくり進んでくれた。時には医師としてのNOの判断に息子が納得せず、先生に不満をぶつけることもあったが、同じ目線に立って楽しんで過ごせる友達のような存在でもあった。

 コロナ禍で延びていた友達との面会希望をかなえるために尽力してくれたのも先生だった。息子が諦めたものの多さを知る分、喜びを取り戻すことの重要さを説いてくれた。

 プロ野球選手の記録達成のお祝いや病院への慰問交流の様子を野球経験者だった息子が新聞社に取材されることになった時は先生が息子の身の回りの世話をし、息子と同じユニフォームを着てソワソワし「写真撮ろうよ。」と何枚も写真を撮ってくれた。選手と息子の写真にも先生がたくさん写っていた。息子は先生が一番楽しんでいたよと少しイタズラな表情で教えてくれた。いつ見ても目尻が下がり口角の上がってしまうふたりの写真は百折不撓ひゃくせつふとうで共に過ごした証だ。

 最期の時、予期せず降りられないレールに乗ってしまった息子への、本人が起こしてきた回復と言う奇跡にすがりたい私達の祈りは届かず驚く程あっという間に逝ってしまった。悔しさと落胆と、その言葉を拒むような顔で息子の人生のお終いを告げたのは、他の誰でもなく先生だった。治療を施す医師としてだけでなく、ありのままの先生の存在が息子に幾度となく訪れる不安や不穏を取り除き、安心や思い出に変えてくれた。診断から3年間。先生は欠くべからざるいのちの伴走者だった。

 K先生。息子が亡くなって半年が経ちました。私はあの子のお母さんだから、今ここにあの子がいないことにまだまだ涙が出ます。でも、私達の経験は時間をかけて形を変えてこれからも誰かや何かの役に立ち、同時に私達家族各々の人生の糧になっていくと信じています。息子に限らず先生が見送ったいのちが、いつかどこかで花開く日のために、生涯努力の誓いを全うされることを期待しています。

 これは笑い話ですが、先生からラーメン食べていいよの許可をもらうことに命をかけていた息子のために、私はラーメンを仕込めるようになりました。月命日に息子に供えるためです。

 先生も今、ラーメンをおねだりする息子の顔が思い浮かんだでしょう?

 先生は最近何か良い事ありましたか?

第8回 受賞作品

受賞作品一覧

生命(いのち)を見つめるフォト&エッセー