医師のみなさまへ

2025年2月20日

第8回 生命(いのち)を見つめるフォト&エッセー 受賞作品
一般の部【審査員特別賞】

「虹色の千羽鶴」

二村 直子(55歳)三重県

「今日は訪問の日なんだけど、I先生と話していると安心するの。なんていうか、仏様みたいな人やわ。」

 朝食の時、夫にそう言いながらリビングで眠っている娘を見つめた。I先生とは、二女がお世話になっている訪問診療の医師だ。

 二女のゆうは筋力が弱くなっていく難病で、知的にも重い障がいを持っている。自分で体を動かすことが徐々にできなくなり、現在では人工呼吸器を付けながら寝たきりで生活している。

 二女の主治医は、9年前、彼女が特別支援学校卒業を機に、総合病院の小児科医から訪問の医師に変わった。この訪問クリニックは高齢者や特定の疾患がある方を専門とされていたので、障がい児を診ることは娘が初めてだった。

 娘の担当医になったI先生は、短髪で化粧っ気がなく、私より少し年上の女性だ。いつも柔らかい笑顔で私の話に耳を傾けてくださり、ご自身の考えを丁寧にお話しされる。どうしたら娘が生活の中に楽しみを見つけられ、親の負担や不安が少しでも減るのかをいつも考えながら私に話をしてくださるので、先生と話をすると、私はホッとする。

 ベッドに横たわっている二女にも、
「ゆうさんが元気でいてくれて、うれしいです。ありがとうございます。」
と、目を細めながら心を込めて話しかけてくださるので、ゆうも先生の声に笑顔で応えている。その様子を見ていて、私はいつも心がぽかぽかする。だから、先生の訪問の日が、私にも娘にも楽しみになっている。

 まだ娘が特別支援学校を卒業したばかりの頃は、娘は気管切開をしていなかった。ずいぶん前から気管切開を医師に勧められていたが、私がずっと拒んできた。

 娘は11歳で胃瘻いろうを造り、口から食べられなくなった。高等部時代に左目が緑内障になって失明し、右目も白内障で物を見る楽しみがなくなりつつある。ほんのわずか、動かせるのは指先だけだ。そんな娘だから、私は、声を残すことに異常なほどこだわった。「声を出す」ことは、娘が自分を自由に表現できる唯一の手段なので、それを維持することは娘の心を守ることだと、I先生にも何度も伝えてきた。

 ところが娘の病状は進み、知らず知らずのうちに唾液を誤嚥ごえんし、発熱して体調を崩すことが続いた。安定した生活が送れなくなってきたと私も痛感していた。ある日、I先生からも気管切開を勧められた。
「もう、限界だと思います。声を失うことはつらいですが、命を最優先しましょう。」

 そう言いながら、先生も涙目になる。私の気持ちも、「声」が娘の心そのものだということもよく理解された上での判断なのだとわかり、素直に私の胸に届いた。

 手術のために大学病院で受診もしたが、
「この状態で、よくここまで気管切開をせずに元気に過ごされましたね。」
と、大学病院の医師も驚いていた。その言葉も、私の決心を後押ししてくれた。

 大学病院への入院前日、夕方に突然、I先生と看護師達が我が家にやってきた。先生は手に持っていたオレンジ色の紙袋から色とりどりの千羽鶴を取りだして、娘に渡してくださった。病院のスタッフやそのご家族の皆さんで、娘のために作ってくれたものらしい。

 感激して、私は泣きだしてしまった。娘は声を出して笑いながら、嬉しい来客と千羽鶴の触り心地を楽しんでいるようだった。

 翌日、大学病院に入院し、何も知らない娘は笑顔で手術室へ入っていった。病室で千羽鶴を見つめて、娘の無事と、術後に声を失った娘が絶望しないことを祈り続けた。

 手術が終わり、細い娘の首に刺さっているカニューレを見た時は、息が止まりそうになった。痛々しく血の付いた包帯が巻かれている。「よく頑張ったね」よりも、「ごめんね」という言葉しか私は出てこなかった。

 目覚めた娘は、自分の状況が理解できずに、口をパクパクして、出せない声に困った表情をしていた。しかし、数時間経って、彼女は「舌打ち」という新しい言葉を見つけ出した。得意そうに舌打ちで音を出し、「私は大丈夫」とアピールしてくる娘から、私も夫も、逆に救われたような気がした。

 I先生にもすぐに娘の様子を連絡すると、
「ゆうさんもお母さんも、頑張りましたね。」
と、喜んでくださった。千羽鶴に込められたエールが、娘にも伝わったのだと思った。病室の千羽鶴が、虹のようだった。

 7年前から娘の一部になった気切部のカニューレは、今では娘の大切な命綱だ。彼女は手術後、体調が安定し、元気に過ごしている。

 これからも、I先生への信頼をお守りにしながら、娘が私のそばで笑ってくれる日々を、一日一日大切に生きていきたい。

第8回 受賞作品

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生命(いのち)を見つめるフォト&エッセー